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4.ジウジアーロと日本
4.ジウジアーロと日本
ジウジアーロと日本の出会い
ジウジアーロと日本は深いつながりがあります。それは、日本の企業とのコラボレーションによるプロダクト、そして、ある日本人との長年にわたる友情です。
ジウジアーロと日本との出会いは、ベルトーネ社在籍時代にさかのぼります。そのきっかけを提供したのは、後にジウジアーロが独立しイタル・デザイン社を設立する際にも大きな影響を与えた、宮川秀之氏でした。ジウジアーロと宮川氏のタッグは、のちに日本車史上の傑作として今も多くのファンを魅了する『いすゞ117クーペ』を生んだのです。
ジウジアーロと日本のコラボレーションの傑作「117クーペ」
1966年、ギア社に移籍したばかりのジウジアーロに日本車のデザインを手がける機会が訪れます。いすゞ自動車とギア社によって進められているプロジェクトの派生モデルとして、新しいスペシャリティ・クーペの企画が持ち上がったのです。
このテーマを是非ともジウジアーロにやらせてほしい、そう強く望んだのが、宮川氏でした。彼はこの出来事の前に東洋工業(現・マツダ)の初代ルーチェのデザインをベルトーネ時代のジウジアーロと共に手がけており、ジウジアーロとはすでに親交があったのです。
宮川氏はいすゞ、ギア両社の首脳陣にかけあい、それが認められ、晴れてジウジアーロがデザインする日本車のプロジェクトが発足しました。
わずか2カ月という短期間でジウジアーロとギア社のスタッフによって完成したプロトタイプは、そのままジュネーブ・ショー(モーターショー)に担ぎこまれ、大成功を収めたのでした。
それから2年後の1968年、この車は「いすゞ・117クーペ」として世に出ました。
117クーペは13年間にわたり、8万6,192台が生産されました。ただし、厳密に言うと、ジウジアーロのオリジナルデザインであった第1期型(1968~1973)は、組み立てを手作業で行っていたためわずか2,458台のみの生産にとどまり、量産されるようになった第2期型は、ジウジアーロが去った後のギア社により細かなデザイン変更が施されました。
→Wikipedia
ジウジアーロの日本デザイン文化論
こうして日本と出会ったジウジアーロは、その後も日本の企業と数多くのコラボレーション作品を手がけています。もちろん、オカムラの椅子「コンテッサ」「バロン」もそのひとつです。
ジウジアーロは、日本から多くの恩恵を受けているといいます。彼は日本の文化や精神から多くを学び汲み上げてきたとも語っています。
また、彼はデザインの世界において、日本を彼の母国イタリアと似た国であると認識しているようです。
デザイン界は世界的に、形や内容が誰にでも分かり、誰にでも受け入れられる「グローバルデザイン」に指向していると、ジウジアーロはいいます。しかし彼は一方で、彼の母国イタリアや日本は、その国独自の個性を大事にしたいという要求が強いと感じています。そして、この要求は決して各自の孤立化を求めるのではなく、長い歴史を持つこれらの国々の文化を守りつつも、今日的な形でその特質を再提出しようとするものだ、と分析しています。
ジウジアーロは、日本のデザイン文化をこう表現しています。
『…世界という市場に向けて、日本独自のデザインが始まった。それは、ディテールに対する入念さと完成度、物事を深める能力、つまり日本文化において典型的な要素をデザインの分野に応用することを日本の人々が理解したからとも言える。
日本の建築、工芸品、庭園の趣の深さ、安い素材に付加価値を与える能力など、日本文化固有のものが、日本の人々の持つ謙虚さ、忍耐強さとうまく結びつき、デザインそのものを洗浄させ、進化させ、驚くべき成果を導きだしたのである。ある面においては、それは明らかに欧米に勝っており、あらゆる面において、できうるかぎりの配慮がなされていることは賞賛に値する。これは、日本のデザインの進歩を自分自身の目で見てきた私の賞賛であると同時に、世界の多くの人々が認めるところである。』
(『ジウジアーロ デザイン&テクノロジー』日経BP社、1993)
ジウジアーロと宮川秀之氏
ジウジアーロは、宮川秀之氏との出会いをきっかけに、何度も日本を訪れています。
117クーペをデザインしていた頃の1967年、ジウジアーロは来日し、宮川氏と日本各地をまわったそうです。
ある日、その日のスケジュールを終え、第三京浜を東京に向かって走っていたときのこと。彼は当時の成長いちじるしい日本の自動車産業の息吹を身近に感じ、感激したといいます。そして二人は、自動車界や彼らの将来について熱く語り合ったそうです。それは翌年のジウジアーロの独立~イタル・デザイン社設立への芽生えであった、と宮川氏は回想しています。
日本のデザイン文化の発展
今や日本は、欧米からデザインを輸入する時代を脱し、独自のデザイン文化を世界に発信し始めました。
オカムラの椅子「コンテッサ」「バロン」は、彼のデザインプロジェクトと日本の優れた工業技術が融合した、世界に通じる素晴らしいプロダクトとして輸出されています。特にコンテッサは、2004年アメリカ・IDEA(インダストリアル・デザイン・エクセレンス賞)の家具部門で、日本の家具として初めて金賞を受賞しています。
ジウジアーロは、日本のデザイン文化についてこう締めくくっています。
『… 今度は、私たち欧米の人間が、謙虚に日本の工業デザインの素晴らしさを認め、敬意をあらわす番だと考えている』
(『ジウジアーロ デザイン&テクノロジー』日経BP社、1993)
ジウジアーロのデザインエピソード
最後に、宮川氏が語るジウジアーロのエピソードをご紹介します。
『ジウジアーロは他人の作品を大事にする人だ。それに、ことデザインに関しては抜群に記憶力がいい。モーターショーを見てまわると、どの車のどこの部分が印象的だったか、全部記憶している。なぜそんなことができるのか、聞いてみたところが、そんなの簡単だよ、他人のいいところだけ見ればいいのであって、よくないところは見ないことだって』
『彼はいいアイディアを思いつくと、すぐにメモを画くんだけれども、何枚ものスケッチをすぐその場で捨ててしまう。せっかく画いたのにというと、頭の中に入れてしまったら必要はないって、そういってる。確かにそうでもしなければ、メモは際限なく溜まってしまうだろうが、記憶力に自信がなければそんなことできやしない』
(『カーデザインの巨人 ジウジアーロ』小学館、1985)
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